パンの歴史

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現代の日本人の食卓になじみ深いパン。

現在日本では世界のさまざまなパンが食べられており、製パン技術と品数の豊富さは世界でもトップクラスといわれています。

パンはいつからできて、また、日本にやってきて、どのように広がったのでしょうか?

ポルトガルから伝来したと聞いたことがある方もいるかもしれませんが、その説は本当なのでしょうか。

今回は、パンの歴史、ルーツをご紹介します。

 

 

【誕生は8000年前】

パンが初めて作られたのは今から約7,000~8,000年前の古代メソポタミアで、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。

その後、発酵する技術を覚えるようになりパンが食べ物として位置付けられるようになりました。当時のパンのイメージに最も近いとされているのが中央アジアのパンを代表するナンとされています。

そこから次第に中央アジアから西アジアに小麦を栽培する技術が継承されていったのです。

パン作りの最先端だった古代エジプトや古代ギリシャでは腕のいいパン職人があちこちで名を馳せて、ある職人はブドウ液から作られたパン種も使われるようになりました。

いわゆる現在の『天然酵母』製法です。天然酵母は古代からの製法として用いられてきたのです。

紀元前5~4世紀頃になると古代ギリシャが栄え、エジプトなどから穀類を輸入するようになりました。ギリシャでは「発酵パン」が安定して作られるようになったといわれています。

ギリシャが安定して発酵パンを生産できた理由は、ワイン製造の技術を持っていたからだとされています。ワイン作りには「酵母」が欠かせませんが、ギリシャ人はワイン作りを通して酵母の扱いに精通していたのです。

時代の流れとともに、パンはギリシャから古代ローマへと広がりました。古代ローマ時代には絶えず領地拡大のための戦争がありましたが、兵士たちの糧食となったのもパンです。大量生産によって生産技術は向上し、専門のパン屋や菓子パンなども登場しました。

その後中世に入り、ヨーロッパでは新しい国家が次々と誕生しました。中世はキリスト教社会であったため、聖書で「イエスの肉」とされているパンが重要視され、教会や国の保護を受けてさらに発展しました。

やがてヨーロッパは大航海時代を迎えます。国々が競って新大陸に乗り出したこの時代、パンも人々とともにアジアやアフリカ、アメリカなど世界中の大陸へと広がりました。

 

【いつ日本にやってきたのか?】

世界中に広まったパンが日本にやってきたのは、1543年、南蛮貿易を推奨した織田信長の時代だといわれています。種子島に漂着したポルトガル船によって、鉄砲とともにパンも日本に伝来しました。ただ、パンは当時の日本人には食べられておらず、主に来日する貿易商人や宣教師たちが食べるものでした。

その後、鎖国令とともにパンも日本から姿を消してしまいます。

パンが再び日本で注目されたのは、1840年のアヘン戦争がきっかけでした。清に圧勝したイギリス軍の侵攻を恐れた幕府が頼った軍学者・江川太郎左衛門は、米よりもパンの方が兵糧として優れていると考えました。

そして太郎左衛門が伊豆の自宅にパン焼きかまどを作成し、パンの製造を開始したのが1842年のことです。

こうして、パンは初めて日本人の手によって作られるようになりました。

 

【アンパンが流行る】

江戸幕府が倒れ大量の武士が失業に追い込まれてしまいました。

そこで同じく失業者だった木村安兵衛がパン作りに目をつけ、アンパンを開発します。

日本人に食べやすいパンの発明によって、アンパンの美味しさは瞬く間に広がり、明治天皇から太鼓判を押されるまでになりました。

明治天皇のお気に召したことから、あんパンは多くの人に認知されることとなり、その後全国的に一般庶民へと広がっていきました。

そして日本人がアンパンだけでなく、世界各国のパンに興味を持つようになりました。

 

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

パンの歴史とルーツについて解説していきました。

日本に初めてパンがやって来て5世紀ほど経ちました。

最初は「異人さんの奇異な食べ物」であったパンが日本で受け入れられるまでの間には、先人のたゆまぬ努力と創意工夫がありました。

現在ではホームベーカリーも普及し、パンは家庭でも簡単に作れるようになっています。

これからもおいしいパンが日本の食卓を彩ってくれることでしょう。

 

 

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