パラリンピックの歴史
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今年の東京オリンピックは延期になってしまいましたね。オリンピックの年はみなさん盛り上がりを見せますが、オリンピックの後に開催されるパラリンピックに関しての歴史はご存知でしょうか?今回はパラリンピックに関して詳しくお伝えしたいと思います。
パラリンピックとは?
パラリンピックはオリンピックと同じ年に同じ都市で開催されます。そのため夏季、冬季の2種類の大会があります。
パラリンピックの意味は、もともとは「Paraplegic Olympic(対麻痺者のオリンピック)」という意味でしたが、のちに「Parallel+Olympics(類似した、同様の+オリンピック)」として、もう1つのオリンピックという意味へと変わっていきました。
パラリンピックを統括するのはIPC(国際パラリンピック委員会)で、オリンピックを統括するIOC(国際オリンピック委員会)とは別の組織です。日本でも同様にパラリンピックが日本パラリンピック委員会、オリンピックが日本オリンピック委員会と別になっています。
パラリンピックの「パラ」とはどんな意味?
「パラリンピック」という名称はもともと、1964年の東京オリンピックにあわせて開催された、第13回国際ストーク・マンデビル競技大会の愛称でした。
下半身麻痺者を示す「パラプレジア」という言葉と、「オリンピック」を掛け合わせた造語です。
1985年、IOCが「パラリンピック」を正式な大会名として使用することを認め、この時点でパラブレジア以外の障がい者も数多く参加していたことから、意味をギリシャ語の「パラ」と「オリンピック」を掛け合わせたものに変更しました。
ギリシャ語の「パラ」は英語の「パラレル」の語源となった言葉で、「もうひとつの」という意味があります。1988年のソウル大会から正式名称となり、この時にさかのぼって1960年のストーク・マンデビル競技大会が第1回パラリンピックとされました。
障がい者スポーツの国際大会のはじまり
障がい者スポーツの国際大会は、後述するパラリンピックの始まりよりも前から行われていました。障がい者がスポーツをしていたという記録は、紀元前からあったそうです。
しかし、障がい者のスポーツ団体が生まれ、スポーツ大会が行われるようになったのは、19世紀から20世紀にかけてのことでした。
初めての国際的な障がい者のスポーツ大会は、1924年に国際ろう者スポーツ連盟が行った第1回国際ろう者スポーツ競技大会(現在のデフリンピック)でした。
パラリンピックが行われるのはここからもう少し後のこととなります。
パラリンピックの目的は
パラリンピックの原点は、戦争で負傷した兵士たちの社会復帰を進めるためのリハビリで、その目的は「福祉」でした。
IPCは、スポーツを通じて障がいのある人にとってよりよい共生社会を実現することを理念とし、「勇気(負の感情に向き合い、克服しようとする精神力)」、「強い意志(難題に対し諦めることなく己の限界を突破しようとする力)」、「インスピレーション(心を揺さぶり、駆り立てる力)」、「公平(多様性を認める力)」の4つの価値を重視しています。
ただオリンピックと同様に、パラリンピックもまた障がい者スポーツの最高峰とみなされるようになり、福祉的な側面よりも競技的な側面に注目が集まるようになっていきました。
日本でも、福祉の観点から長らく厚生労働省の管轄下にありましたが、2014年からはスポーツ振興の観点から文部科学省へ移管されました。
1988年のソウル大会以降はオリンピックと同一の開催地となったことから、パラリンピックへの注目度もより一層高まっています。
障がい者スポーツへの認知度向上などの成果があった反面、オリンピックと同様にメダルを獲得できるかどうかに関心が集まることから、ドーピングや競技用車椅子などの高額化、障がい者を装った健常者の出場などの問題点も指摘されているのが現状です。
パラリンピックの前身大会は病院内で行われた
パラリンピックの前身となる大会が始まったのは1948年のことです。当時は第二次世界大戦の影響で多くの負傷者がおり、中には脊髄損傷によって車椅子を利用する患者もいました。
そういった脊髄損傷者のためにロンドンにあるストーク・マンデビル病院内に脊髄損傷科が開かれ、1948年にここで患者のリハビリのための競技会として車椅子患者によるアーチェーリー大会が行われました。
これがパラリンピックの原点となった大会です。ちなみにこのアーチェリー大会には男女合わせて16名の選手が参加したそうです。
その後も、この大会は毎年行われていましたが、1950年にオランダの選手が参加したことで国をまたいでの競技会となり、名称が「国際ストーク・マンデビル大会」となり少しずつ大きくなっていきました。
第1回大会開催は1960年
少しずつ参加国が増えていったストーク・マンデビル大会は、運営組織が整っていき、1960年にヨーロッパ5カ国によって「国際ストーク・マンデビル大会委員会」という組織ができます。
この組織によって、オリンピックが開催される年についてはストーク・マンデビル大会をオリンピックの開催国で行うという意向が発表され、同年にオリンピックが開催されたイタリアはローマで、国際ストーク・マンデビル大会が開催されました。
このローマ大会が第1回目のパラリンピックと位置付けられています。 ちなみに冬季パラリンピックは夏季から遅れること16年後の1976年に開催されたスウェーデンのエンシェルツヴィーク大会が第1回目となっています。
パラリンピックの歴史(1988年まで)
第一回パラリンピックは23カ国の選手400名が参加し、大成功に終わりました。日本はこの大会に参加こそしなかったものの、続く第二回パラリンピックは1964年の東京大会で行われています。
この大会は2部構成で行われ、1部は「ストーク・マンデビル競技大会」として、そして2部は障がいを持つ日本人選手だけが参加する大会として行われました。
ちなみに、パラリンピックと言えばオリンピックが行われた都市で行われるイメージがありますが、この頃はこの2つの大会は別々の国で行われていました。
例えばパラリンピックの第3回大会は1968年にイスラエルで行われていますが、この年のオリンピックはメキシコで行われています。オリンピックとパラリンピックが同じ都市で行われるようになるのは、1972年のドイツ大会以降になります。
また、「パラリンピック」という名称は1988年のソウル大会から呼ばれるようになったものであり、当初は「ストーク・マンデビル競技大会」の名称が引き続き使用されていました。
このソウル大会が開催された時、パラリンピックは61か国から3,057名の選手が出場者を誇り国際大会にふさわしい大会に成長していました。
この大会は、オリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを連動させたはじめての大会となり、パラリンピックという愛称が正式名称に定められ大会でもありました。
パラリンピックの歴史(1989年から)
その翌年の1989年には、パラリンピックを運営するための組織である国際パラリンピック委員会(IPC)が、ドイツのデュッセルドルフで創設されました。
それ以来、パラリンピックという言葉は、障がい者にスポーツ活動の機会を提供する「機会均等と完全参加」という理念および「障がい者のスポーツのエリート性」を表す言葉になりました。
2000年には、オーストラリアで第11回シドニーパラリンピック開催されましたが、その大会期間中、ファン・アントニオ・サマランチIOC会長と、ロバート・D・ステッドワードIPC会長によってIOCとIPCとの話し合いが持たれ、「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」との基本的な合意に達しました。
さらに2001年には、スイスにおいて、IOCとIPCの両会長によって、IOCとIPCとの協力関係に関する持たれ、より詳細な協力関係に関する合意がなされ、「もう一つのオリンピック」と呼ばれるにふさわしい、世界最高峰の障がい者スポーツ大会へと今なお発展し続けています。
その一方で、パラリンピックの起源は車椅子の利用者のためのスポーツ大会という点にあります。障がい者のスポーツ大会としては、知的障害者の大会であるスペシャルオリンピックスや聴覚障害者の大会であるデフリンピックといったものがある事も、パラリンピックの歴史を知る上では知っておきたいところですね。
まとめ
パラリンピックの歴史いかがでしたか?どうしてもオリンピックにばかり目が行きがちですが、パラリンピックにも注目して来年は皆さんで応援しましょう。最後に私がおすすめするリンク先を掲載しておきますので、ぜひご覧ください。
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